「アダルトVR」が大ヒット! 生々しい疑似性体験が性犯罪を助長する?

彼氏目線のAV

VR(バーチャルリアリティ)元年といわれた2016年が終わりに近づいています。
2017年はゲームやその他のサービスにおいても飛躍的にコンテンツが増え、その普及がさらに加速することは間違いありません。
アダルトVRも負けじと盛況を見せるでしょう。

すでにその勢いは止まらないものとなっており、ビデオ・オン・デマンドの大手「DMM.com」のアダルトVR専用サイトには「大ヒット! VR動画売上10万本突破!」の文字が踊り、VR再生対応のアダルト作品156タイトル(※)がラインナップされています。※2016年11月24日現在

とはいえその内容をみると、人気セクシー女優の出演を売りにしたものが中心で、まだ細分化は始まっていません。つまり、マニアックな作品が少ないということです。

こうしたサイトではさまざまな嗜好をもった人が目当ての作品を探しやすいよう女性の属性やシチュエーション、プレイのスタイルなどによって、ジャンルを細かく分けています。

そのなかには「痴漢」「監禁」「レイプ」「輪姦」のような女性への暴力シーンを含み、犯罪をダイレクトに連想させるものもあります。

また「女子校生」などという曖昧な語でごまかしていますが、明らかに未成年をイメージした作品も数えきれないほどリリースされています。アダルトVRにもこの手の作品が増えるのは時間の問題でしょう。

現実世界では体験できないものほど、仮想現実で疑似体験する価値があります。

■「レイプで女性は悦ぶ」という神話を助長するのでは

AVで描かれるのは、すべてフィクションです。そうしたものを観て興奮する嗜好自体は誰からも責められるものではありません。

古くから「AVがなければ、性犯罪はもっと増えるはず」という言説があるくらいです。

AVという“はけ口”が用意されているからこそ、そうした反社会的な嗜好を持った人たちが犯罪に走らずに済む、という理屈です。

しかし他方で、「AVが、性犯罪を助長させる」という指摘も根強くあります。フィクションであってもドキュメント風、あるいは隠し撮り風に見せている作品や、女性の容姿があまりに幼く「本当に未成年なのでは……」と不安になる作品が及ぼす影響力は早くから危惧されています。

暴力によって性行為を強要された女性が最終的には悦んで快楽を貪る、というのはAVではお約束中のお約束です。

目で見て脳裏に焼き付いたものが、いつしかその人のなかで“真実”となり、現実世界で女性を傷つける行為をしてしまう……考えるだけで恐ろしいことです。

■過激なAVを手本にした性犯罪──現実と虚構の境界線がさらに曖昧に

この話題になると、必ず「現実と虚構の区別ぐらいつく!」という声があがります。

しかし、女性とセックスするときにAV的なテクニックや立ち居振る舞いを連発する男性の話は、女性にとっては“あるある”すぎて常識レベルになっています。

AVこそセックスのお手本と信じ、それを無邪気に模倣している段階で「現実と虚構の区別」がついているとは思えません。

AVを手本とした性犯罪は現実に起きていて、たびたび報道されています。そのなかには、次のような報告もありました。

警察庁科学警察研究所が1997~98年、強姦(ごうかん)や強制わいせつの容疑で逮捕された553人に行った調査では、33.5%が「AVを見て自分も同じことをしてみたかった」と回答した。

少年に限れば、その割合は5割近くに跳ね上がる。――『性暴力の実相・第2部(3) 過激なAV「お手本」に』, 西日本新聞

10年以上前のデータですが、AVでの性描写が年を追うごとに過激になっている現実を踏まえると、このおぞましい現象が解消される方向にむかっているとは考えにくいでしょう。

筆者は現在、性犯罪加害者についての専門家に取材を重ねていますが、「特に若年層に、AVを模倣して痴漢、盗撮、強姦などを実行する例が増えている」と聞きます。

■“何でもアリ”の性表現は規制されるべきか

VRという、これまで以上に生々しい疑似体験ができるメディアが登場したことで、ますますその傾向が強まるのではないか。

筆者自身の体験では、アダルトVRにおいては実写よりも3DCGのほうが映像として刺激が強いと感じました。

人体ではありえないサイズのバストが目の前で揺れていると、好き嫌いはともかく目を奪われます。

また、3DCGでは何でもアリ。デモンストレーションでは、ローティーンにしか見えない女性の性行為も表現されていました。

インパクト大の映像体験に、「現実と虚構の区別ぐらいつくわ!」という理性が吹き飛ぶ人が出てきたとしても不思議ではありません。

視聴者が過激な性表現を求めること自体は、止められないでしょう。アダルトは身体反応がストレートに出る娯楽であり、「もっと、もっと」という気持ちに歯止めをかけるのはほぼ不可能です。

であれば、提供する側に何らかの制約を課すなどのアプローチが、もっと議論されてもいいのではないでしょうか。

もちろんそこには、「表現の自由」問題が関わってきますが、自由と野放しは違います。

本来ならVR元年といわれる2016年にしておくべき議論でしたが、来年への宿題となりそうです。

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