成宮寛貴引退直前、水谷豊紅潮させた『相棒』緊急会談1時間/「寂しさが根底に…」パーティ好きの陰にあった孤独

「突然、成宮さんの事務所の社長が『相棒』の収録スタジオに現れたので周囲も驚きました。社長は神妙な面持ちで水谷豊(64)さんに頭を下げると、一緒に別室に入って行きました」(テレビ局関係者)

12月9日、成宮寛貴氏(34)が芸能界からの電撃引退を発表した。発端は、12月2日発売の写真週刊誌『フライデー』でコカイン吸引疑惑を報じられたこと。“事実無根”と所属事務所が発行元の講談社を相手どりあらゆる法的措置をとると発表し、さらに7日には成宮氏の尿検査が陰性だったことも公表した。

だが、続報を掲載した『フライデー』が9日に発売されると、その日の午後4時過ぎに、報道各社に成宮氏自筆の声明文がFAXで送られ、引退が発表されたのだ。冒頭の成宮氏の所属事務所社長が、スタジオに現れたのは、引退発表前日の8日のことだった。

「その間、撮影はストップし、共演者は待たされたまま、水谷さんとの話し合いは1時間以上にも及びました。コカイン吸引疑惑がうやむやのままだと、再放送など『相棒』にも直接的な影響が出てきます。成宮氏の今後についての報告もあって、緊急の話し合いになったんだと思います。そこで初めて引退の意向を聞いたようで、約1時間後に部屋から出てきた水谷さんの表情は非常に険しいものでした」(前出・テレビ局関係者)

水谷は成宮氏が家族の温もりを感じられる“大切な人”だった。11年から14年まで3クールにわたって共演した『相棒』で深い絆で結ばれた。前出のテレビ局関係者が説明する。

「とにかく新タッグを組むと決まったときから、水谷さんは成宮くんをまるで自分の息子のように、とてもかわいがっていました。歴代の“相棒”とは明らかに接し方が違っていました。彼を“ナリ”と呼んで現場で演技指導やアドバイスをしていましたが、撮影が終わってからも自宅に招き、家庭料理をごちそうしたりしていましたからね」

水谷のことをインタビューで「尊敬している」と何度も繰り返していた成宮氏。水谷の支えによって、テレ朝の看板番組の一翼を担うプレッシャーを跳ねのけることができているとも語っていた。そして、成宮氏が『相棒』を“卒業”してからも、水谷はことあるごとに彼をフォローし続けた。父親の“愛”を知らずに育った成宮氏にとって、水谷は本当の父親のような存在になっていったのだ――。

だからこそ、コカイン吸引報道直後の突然の引退には“裏切られた”という思いが水谷には強かったようだ。

「事務所社長との会談が終わった後も、水谷さんは悲憤がおさまらなかったんでしょうね。衝撃と怒りでしばらく顔が紅潮したままでした」(前出・テレビ局関係者)

そんな水谷の断腸の思いを、伝え聞いたのだろうか、父のように慕った水谷にもう合わせる顔がないと思いつめた成宮氏は、翌日の直筆声明文のなかで、《今すぐこの芸能界から消えてなくなりたい。今後芸能界の表舞台に立つ仕事を続けていき関係者や身内にこれ以上の迷惑をかけるわけにはいかない。少しでも早く芸能界から去るしか方法はありません》と現在の心境を綴った。

“父”も友人も裏切り、多くの世話になった関係者に迷惑をかけた成宮氏。芸能界を引退した彼は、今後、どうしていくつもりなのだろうか。成宮氏の東京・中野区内の自宅へ行ってみると、家の中は真っ暗で人のいる気配はなかった。成宮氏の仕事関係者は今後の動向についてこう語った。

「彼は引退発表と同じ日に海外に出国したようです。すでに目的地に到着していることでしょう。しばらく祖国の土を踏むつもりはないのでは……」

仕事も捨て、“家族”とも縁を切った覚悟の逃避行。彼は今何を思っているのだろう。

■成宮寛貴「寂しさが根底に…」パーティ好きの陰にあった孤独

12月9日に芸能界からの電撃引退を発表した成宮寛貴氏(34)。発端は2日発売の写真週刊誌『フライデー』でコカイン吸引疑惑を報じられたこと。“事実無根”と所属事務所が講談社へ法的措置をとると発表。7日には成宮氏の尿検査が陰性だったことも公表した。だが続報を掲載した『フライデー』が9日に発売されると、その日の午後4時過ぎに成宮氏自筆の声明文がFAXで送られ、引退が発表されたのだ。

そんな『フライデー』に証言した人物とは別の知人から、本誌は成宮氏の“ある写真”を入手した。バスルームでショットグラスを片手に満面の笑みを浮かべる写真や、彼の誕生パーティで男性と親しげに寄り添っている写真など。写真を提供した知人は、当時の様子をこう語る。

「寛貴くんは何より仲間を大切にしていました。だから気の置けない友人を集めては、パーティではしゃぐことが大好きでした。ホテルのスイートルームを借り切ったり、自宅に呼んでは大騒ぎをしたりしていました。マドンナが好きで自宅ではマドンナのDVDをずっと流していましたね」

あまり他人の目のつかない場所で遊んでいたのは用心深かったからではないか、と知人は推測する。

「彼の取り巻きには、お金があってふらふらしている人が多かったですね。時間を持て余しているような、どこかの社長さんとか自称芸能人などです。外国人のモデルも来ていましたが、彼女たちは寛貴くんが芸能人であることすら知らない人もいました」

特に毎年9月14日の彼の誕生日には、盛大なパーティが開かれていた。彼の周りにはいつも誰かしら友人がいたと知人は語る。

「彼が父親の顔も知らずに母子家庭に育って、そのお母さんも早くに亡くして、自分で弟を育てなければならなかったという話を聞いたときは、苦労しているんだなと感じました。いつも多くの人と一緒にいるのも、寂しさが根底にあるんじゃないかと思います」

14歳のときに母親と死に別れ、6歳下だった弟を育てるため、高校に進学せずに働き始めたという成宮氏。弟を大学まで進学させた話はつとに有名だ。

「彼は友人たちのことを、『僕の家族だから』『僕の仲間だから大丈夫だ』と信じていました。孤独な生い立ちの彼にとって、仲間とワイワイ楽しんでいるときが、家族の“温もり”を感じられる機会だったのかもしれません」

【引用元:女性自身】

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