昨年大ブレークの“ピコ太郎”古坂大魔王が『マネーの虎』でフルボッコにされていた過去

古坂大魔王 ピコ太郎

2016年下半期、もっともブレークした人間といえば“ピコ太郎”だろう。

全世界で動画が再生され、プロデューサーを名乗る古坂大魔王も、お笑い番組だけでなく、音楽番組に引っ張りだことなっている。

年末年始に放送された『CDTV年越しプレミアムライブ2016→2017』(TBS系)の総合司会を務めた。

古坂大魔王は、1990年代に3人組のお笑いトリオ・底抜けAIR-LINEとしてデビュー。

『ボキャブラ天国』シリーズ(フジテレビ系)などで活躍した。その後、2人組となり、本格的な音楽志向に転じる。

「テクノユニットNO BOTTOM!を名乗り、故郷の青森県の伝統音楽である“ねぶた”をダンスミュージックに取り入れるなど、キャッチーな音楽が話題となりました。

奇抜なアイデアとテクノミュージックを結びつける手法は、ピコ太郎にも通ずるものがあるといえます」(放送作家)

そんな中、古坂は『マネーの虎』(日本テレビ系)へ出場している。5人組のバンドでロンドンへ行き、現地へ滞在しながら、ストリートライブなどで人気を広めていきたいとプレゼンを行う。

投資希望額は700万円。5人の衣装代400万円のほか、現地への渡航費、滞在費などの総額だ。

決して安い金額ではないが、クラブDJを行う貞廣一鑑社長などが興味を示す。
だが結果的には“フルボッコ”というべきものだった。

「投資金額に、現地の宿泊費、生活費などを含めていたことを、『自分には一銭のリスクもない訳だ』と堀之内九一郎社長に厳しく詰められたのです。

堀之内社長は、志願者のプランの甘さを突くことで知られています。さらに貞廣社長にも現地への渡航経験がないことに『見ていないのは致命的、なぜ見にいかない?』と言われてしまいます」(同)

結果的に古坂のプランは頓挫したことになる。
だが、ピコ太郎で全世界的にブレークを果たした今から見れば、彼のビジョンは決して間違ってはいなかったのだろう。

【引用元:日刊サイゾー】

■ピコ太郎の″中の人″が所属? 90年代に活躍した「底抜けAIR-LINE」

ピコ太郎が全世界的にブレイク中だ。
プロデューサーと言いつつも、この動画の“中の人”は芸人の古坂大魔王であることはよく知られている。

なかなかブレイクしなかった古坂大魔王

古坂大魔王は、90年代に活躍したお笑いトリオ・底抜けAIR-LINEのメンバーだった。

お笑いのセンスには定評があり、芸人仲間の間ではその実力を高く評価されながらも、なかなかブレイクに至らなかった人物だ。

一時期は音楽活動を志向し、芸人を廃業していたこともある。

ピコ太郎は音楽と笑いの要素が見事にミックスされており、古坂のエッセンスが詰まっているといえよう。

そんな彼の笑いの原点である底抜けAIR-LINEとはどんなトリオだったのかふりかえってみたい。

古坂大魔王が所属していた底抜けAIR-LINE

底抜けAIR-LINEは1992年に結成された。メンバーは当時は本名で活動していた古坂和仁、小島忍、村島亮である。(この3名は日本映画学校の同級生)。

この学校は映画科のほか俳優科があり、ウッチャンナンチャンやバカリズム、ドロンズなど多くのお笑い芸人を排出しているが、底抜けの3名はそろって中退している。

彼らの芸風は「ハ~イどーも!」のツカミから始まり、スピード感のあるショートコントを次々披露していくものだ。

1ネタが5秒や10秒で終わるものもあり、ショートショートコントというべきものであった。

同事務所にはバナナマンも

さらに、メンバーの身長が、古坂が186センチの長身であるのに対し、小島が170センチ、村島が160センチほどであったため、見た目で大中小をそなえる、バランスの良いトリオだった。

もっとも人気があったのは村島亮だろう。小動物のようなルックスで「かわいい」と多くの女性ファンを獲得した。

小島は活動の初期は江口洋介風の長髪サラサラのストレートヘアであり、時代を感じさせる。
古坂の特徴はデカさとカラフルなメガネだろうか。

所属事務所はのちにホリプロに吸収合併されるM2カンパニーである。
同じ事務所の所属芸人にはバナナマン、X-GUNらがいた。

知名度を上げた『ボキャブラ天国』シリーズ

彼らの知名度を上げたのが、同時期の若手芸人に同じく『ボキャブラ天国』シリーズ(フジテレビ系)であった。

ただ、番組出演中の1997年5月に、村島が俳優を目指し脱退してしまい、メンバー2人のコンビとなる。

しかし、彼はその後もFAXでメンバーにネタを送っていたというから、関係は良好だったようだ。

音楽活動を開始した古坂大魔王

さらに、お笑い活動と並行して、「NO BOTTOM!」名義で音楽活動も開始する。もともとリズム感を重んじるネタをやっていただけに、音楽志向は必然であったといえる。

古坂の故郷である青森県のねぶたをテクノミュージックに取り入れるといった大胆な試みも行われた。

また、同時期には、音楽を武器にロンドンで一旗揚げたいと『マネーの虎』(日本テレビ系)に出演するも、マネー獲得には至らなかった。

その後、2005年に小島忍が脱退し、ゲームデザイナーに転身。
そのため、底抜けAIR-LINEはこの時期に実質的に解散したと言える。

2008年には古坂が芸人に復帰し、古坂大魔王を名乗り活動を始める。

90年代の活躍から数えれば、苦節20年超、ピコ太郎は悲願のブレイクなのだ。

【引用元:チョベリグニュース】

■世界中で大ブレイクのピコ太郎、過去にあの人気番組に出演していた!

配信曲「ペンパイナッポーアッポーペン(PPAP)」が人気歌手ジャスティン・ビーバーのツイッターから広まり、「あの独特のフレーズが頭から離れない」と大ブレイクを果たしたシンガーソングライターのピコ太郎。

プロデュースという名の下、元底ぬけAIR-LINEでお笑い芸人の古坂大魔王が扮していることは周知の事実である。

若い世代から絶大なる人気を得たピコ太郎こと古坂大魔王だが、ブレイク前に大きな野望を持ち、とある人気番組に出演したことがあった。

「2000年代前半に放送されていた、起業したい若者が自身のビジネスプランをプレゼンし、社長らに出資を募る『マネーの虎』(日本テレビ系)という番組です。

古坂大魔王は、『芸人は辞め、音楽で海外デビューし世界を驚かせてやりたい!』とロンドンへの渡航費用700万円を志願したんです。

結局、古坂の考えていたプランが行き当たりばったりなものだったため、社長たちの賛同を得ることができず、ノーマネーでフィニッシュでした」(放送作家)

それから10年以上が経ち、違う形ではあったものの古坂は音楽で世界中から注目されることとなった。

あの時、古坂の才能を見抜けず出資しなかった社長らは今頃、リンゴにペンを刺して悔しがっているかも?

【引用元:アサ芸プラス】

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