香川照之 離婚後も逃げられない「元CA妻と梨園の複雑な関係」/元CA妻が耐え続けた「梨園いじめ」の地獄

香川照之

16年12月14日、離婚を発表した香川照之(51)。CAだった知子さん(46)と95年に結婚し、一男一女にも恵まれた香川。

2年に「六月大歌舞伎」で歌舞伎の舞台に立った香川と長男(12)。

香川は市川中車として長男は市川團子として梨園入りを果たしたが、知子さんも梨園妻として奮闘し続けてきた。
しかしさらに、母親としての仕事も重なったという。

「長男は有名私立校に通っていますが、公演が始まると1カ月間はずっと早退させ続けることになります。

しかもその手続きも1カ月前までに申請しなれければならないという規則があるのです。

そうした調整をするなか、知子さんは子供の学校でも肩身の狭い思いをしなければなりませんでした」(前出・歌舞伎関係者)

それでも長男が出演する舞台には顔を出し、挨拶回りを続けていた知子さん。だが梨園妻となった知子さんは多忙なだけでなく、先輩妻からいじめのような扱いを受けたという。

そんな“地獄のような日々”のなか、本誌記者が最後に彼女を公の場で目撃したのは14年11月。
実はこのころから、すでに夫婦の別居生活は始まっていた。

14年の夏、香川はそれまで家族で暮らしていた都内の自宅から、別のマンションへ引っ越していたのだ。

本誌はそんな香川が引越し先から仕事場へ向かう姿を何度も目撃していたが、妻だけでなく子供たちの姿さえ一度も見かけなかった。

「9月になると子供たちの学校で新学期が始まるため、その前に引越しを決意したそうです。

別居の理由について、知子さんは子供たちに『お父さんは忙しいから』としか言えなかったそうです」(別の歌舞伎関係者)

当初は冷却期間を持つための別居だったというが、次第に夫婦の溝は深まっていく。

そしてついに弁護士を間に入れての離婚協議を行うまでに至ってしまった。

「もともと夫婦仲は決して悪くはなかったのです。子供たちが学校に出かけたあと、夫婦だけでランチするような2人だったのですから。

でも香川さんにとって、團子の歌舞伎役者としての将来は何よりも大切なことだった。だから妻が苦しんでいても、息子のために犠牲になってもらうことを選んだのです。

知子さんもそれに応えようとしました。でも、一度折れた心が戻ることはありませんでした」(前出・別の歌舞伎関係者)

結局、結論が出るまでに2年の歳月を要した離婚劇。
だが、これで知子さんと梨園との関係がすべて切れるわけではない。
むしろ、知子さんの梨園地獄は続くという。

「離婚は成立しても、切れたのは夫婦関係だけ。子どものことで必要があれば連絡もと取るし、これまでと生活はさほど変わらないでしょう。

息子が市川團子を名乗っている限り、歌舞伎の世界は知子さんのまわりを取り巻き続けます。

知子さんの協力なしでは息子が一人前になれないことを、香川さんはよくわかっていますから」(前出・別の歌舞伎関係者)

離婚会見で「私の力不足」という言葉を5回も繰り返していた香川。
それは、妻を守れなかった悔恨の念だったのだろうか――。

■香川照之 離婚の陰で元CA妻が耐え続けた「梨園いじめ」の地獄

16年12月14日、離婚を発表した香川照之(51)。
CAだった知子さん(46)と95年に結婚し、一男一女にも恵まれた香川。
結婚21年目の電撃離婚の陰には、いったい何があったのか。

本誌の取材で見えてきたのは、梨園妻となった知子さんが味わった“地獄のような日々”だった――。

12年に「六月大歌舞伎」で歌舞伎の舞台に立った香川と長男(12)。

香川は市川中車として、長男は市川團子として梨園入りを果たした。
それは、香川にとって“悲願”だったという。

「香川さんがまだ1歳のときに市川猿翁さん(77)と浜木綿子さん(81)が離婚。

彼は母に育てられたため、45年にわたって父子関係は断絶状態でした。

しかし香川さんは歌舞伎役者になる夢を捨てきれなかった。そのため父との和解を模索し、中車として梨園入りを果たしたのです。

そこには『自分が澤瀉屋の看板名跡である市川猿之助を継げなくても、息子には何としても継がせたい』という思いがありました」(歌舞伎関係者)

梨園入り後は澤瀉屋の組織改革にも乗り出すなど、精力的に活動し始めた香川。
それと前後して、知子さんの“戦い”も始まることとなった。

「それまで家事と育児に専念してきた知子さんにとって、梨園妻の務めを果たすことは簡単ではありませんでした。

和服の着こなしや梨園妻としての仕事を学び、長男の踊りのお稽古送迎もしなくてはなりません。

また長男のデビュー後は、演舞場で挨拶まわりにも奔走していました。

さらに猿翁さんとの同居が始まると、介護の負担も重くのしかかることになった。彼女は目に見えて疲れているようでした」(前出・歌舞伎関係者)

だがそんな彼女を待っていたのは、先輩梨園妻たちからの“いじめ”だった。

「劇場ロビーで挨拶をする際も、知子さんにとっては知らない人ばかり。でも後ろ盾がない彼女には教えてくれる人もいないのです。

そのうえ香川さんは父の後をついて回らなければならないため、現場は彼女が仕切らなくてはなりません。しかしそんな彼女への先輩妻たちの対応は冷ややかでした。

面と向かっての嫌がらせはなかったものの、知子さんが挨拶をしても無視するなど“いじめ”のような状態が続きました」(前出・歌舞伎関係者)

さらに知子さんに追い打ちをかけたのは、長男への“陰口”だったという。

「伝統芸能の重鎮のひとりがブログで市川團子のことを“只の駄馬”と酷評したのです。

名前こそ出していなかったものの、それが團子のことを指すのは明らかでした。

自分だけならまだしも、息子まで攻撃された。そこで彼女の心は折れてしまいました」(前出・歌舞伎関係者)

本誌記者が最後に彼女を公の場で目撃したのは、14年11月。以来、彼女は梨園から姿を消してしまった――。

【引用元:女性自身】

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