木梨憲武、最後は涙…とんねるず“生みの親”秦野氏の豪快伝説

木梨憲武 とんねるず

あまり大きく報道されることはなかったが、10日に肝不全のため69歳で亡くなった芸能事務所「AtoZ」代表取締役社長の秦野嘉王(はたの・よしお)さんの通夜と告別式には、多くの芸能界の重鎮が参列した。西城秀樹(60)や岩崎宏美(56)をプロデュースするなど、70年代以降の音楽界の中心人物で、何より「とんねるず」を生み出した人物。結局、とんねるずとはケンカ別れのような形でたもとを分かったが、妻の安田成美(48)とともに通夜に参列した木梨憲武(53)の涙には、少しジンときた。

 元々はミュージシャン。その経験を生かして、芸能事務所「芸映」に入社した。その所属アーティストだった西城をデビューからプロデュース。当時としては珍しかったコンサートでのダイナミックな演出など、すべて秦野さんが考え出したという。

 一方で、元ミュージシャンということもあってか、関係者によると「感覚的で強引な部分も多分にあった」という。自分が気に入らないと楽曲の書き直しや、歌い直しなどは突然言い出す。そのため西城とつかみ合いのケンカをすることもあった。当時を知る人は「だけど、男同士で感情をぶつけ合った後は、また同じ方向へ進んでいくいいチームでした」と語る。

 先見の明もあった。80年代に入って「これからはお笑いの時代」と考えた秦野さんは、仕事のトラブルでくすぶっていたとんねるずに接近。AtoZを立ち上げた。お笑いコンビとして着実に実績を積む2人に、さらに秦野さんは得意分野の音楽というアクセントもつける。「雨の西麻布」をはじめとしたとんねるずのヒット曲は、秦野さんなしでは生み出されなかった。

 ただ、ワンマンな部分は昔とほとんど同じで、次第にとんねるずと溝ができ始める。関係者は「西城のときは直接ぶつかり合っていたから誤解もとけた。でも、とんねるずの時は社長になって、自分の決定を部下に説明させる場合が多くなった。それが関係をこじらせたんではないかな、と今となっては思います」と話す。

 結局、94年にとんねるずは独立。秦野さんは大変なショックを受けたという。しかし、その後の行動が実にユニークだ。

 「今からイタリアとスペインに行く!傷心旅行だ!と言ってね。それだけならいいんですが、帰国する際に、スペインで入ったインテリア店の商品を1千万円くらい使って、ほとんど買い占めたんです。ヤケ買いだ!とか言って。それが送られてきたんですけど、置く所がない。で、倉庫を借りたんですが、その賃貸料が毎月10万円くらいかかってしまって。頭抱えてました。まったく、豪放だけど、どこかかわいらしいとこがあって」(同関係者)

 とんねるずの2人とも、2000年代に入ってからはポツポツと近況を話し合えるくらい、関係は修復されたという。ただ、通夜に参列した木梨は「一緒にごはんでも、と最近になって連絡してたんですが、それがかなわなかったのが残念」と話した。付け加えて「なにしろ、とんねるずを作ってくれた人ですから」と言葉を絞り出し、涙を必死にこらえる姿が印象的だった。

【引用元:スポニチ Sponichi Annex】

関連記事

コメントを残す

お問い合わせ | 運営者について